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がん教育の先にあるもの 〜がんは家族独自のストーリー〜

 平成28年4月に文部科学省より提示された「外部講師を用いたがん教育ガイドライン」に目を通すと、11頁から13頁にある「配慮」という項目に対して大きな疑問が沸きました。もちろんがん教育(外部講師を用いた)を行う上で「配慮」の対象になるのは、小児がん経験者、小児がん患者の生徒、また、家族、主に親などの身近な人ががんの治療中、または経験者、そして当方のような遺族、ということでした。 

 ガイドラインの中には、前述のような対象生徒に行う「配慮の例」として数項目、数行にわたって記されています。しかし、この「配慮」を「誰に」「どうやって」「配慮」するのか、ということこそ、どんなかたちのがん教育をすすめる上でも、学校で行おうとするそのがん教育の目的や意義になると考えています。


 生徒さんにとってその時間の重みはそれぞれです。

ひとことに「がん教育」と言っても、今や様々なアプローチがありますが、大きく分けて、例えば中学生に医師が正確ながんの知識をふまえたがん教育をする場合と、がんのサバイバーの方がお話しする場合とあります。またその両方を組み合わせているパターンもあります。

 受け手である生徒の個々の状況や性格にもよりますが、小学校高学年から中学生の時期は、みんなと違うこと、気を遣われること、目立つこと、を極端に避ける生徒が多い時期だと思います。

 たった1人でも、辛い思いをし、声をあげることができない生徒がいたら、それは誰のための教育なんだろう、学校で授業として行われたら逃げられない。辛くても乗り越えなければならないのでしょうか。聞かなければならないのでしょうか。もちろん素晴らしい実践もあると思います。ですが、ケアになる授業が繰り広げられるとは限らない。

 授業の後、感想文を書いて講師に贈り、教員ともども授業のお礼をする。この一連の流れに違和感を覚える人は皆無でしょうか。


 どんな教育でも100パーセント完璧に配慮が行き届いた教育は無いと思います。

けれども、真のまなざしであたたかく認めることによって、子どもの心を応援する教育は可能だと考えています。走りながらの調整は危険だと思います。

「がん教育」、知ることが子どもたちの力になることもあると思います。

ですが、まずは大人である私たちが知る。生徒に向けて学校でがん教育を施す前に、がんを抱える家庭の子どもさんや、死別家庭に対する学校側の配慮の howto と、教職員の「がん教育」に対するきめ細やかな研修(OJT)とQ&Aの研修と準備が絶対に必要だと考えています。


がん教育の先にあるもの 〜がんは家族独自のストーリー

 配慮対象生徒に対しては One of them より Each of them の配慮

 それからまずは 教育者の Imagination の訓練と必要性



「がん」に対するイメージは生徒、教員それぞれである。教員自身にも

がん関わる個人的な関係や経験や想いがある。

遺児、遺族、末期患者を抱える家庭にとっては がん=死という現実、

きれいごとでは済まされない暗部も含めて、がん闘病を支えた、命のせめぎ合う局面を教員よりも身にしみている生徒もいる。



②なぜ「配慮」が必要な対象生徒を「配慮」するのか


「声をあげることができない子」の存在➡︎「配慮」(認める)➡︎「大丈夫」➡ 「︎安心」➡︎ 「希望」 

 ※コーチング、教員としてのテクニック

➡︎配慮対象児童生徒の「自己肯定」に繋がる

教育の意義=しなやかな心を育む←「親のがん闘病や死別」によって緊張や覚悟で硬くなった心、折れやすい


③教育➡︎時に刃となる (衝撃の強い生死に関わる体験をしている生徒がいることがわかっていても、保護者に授業の事前に一報も無い)

➡︎教員の力量、資質、裁量

➡︎配慮の欠落 ➡元々の各学年の︎担任と保護者の関係  

    

④ がんの経験のある方などの命がせめぎ合う大変な思いをした方の体験談         

➡早期発見による復帰や治療しながらの社会復帰→啓発

早期発見できなかった、生活習慣が原因→親の失敗、親の否定になりかねない(教員による道徳や学活などの授業の一環においても然り)

死生観やがんへの向き合い方は各家庭それぞれ

※ 外部講師(経験者の方の場合)の個人差(話術、表現、死生観)は避けられない。外部講師のため、担当教諭の講師へも配慮の促しもそれぞれ。講師の方によっては、事前フォロー、アフターフォローまで心を寄せて、配慮が行き届く場合もある。逆も然り。


⑤ 配慮の必要な思春期の生徒にはこっそり「逃げ道」「選択」の余地

生徒の現状への労いと認め、配慮しながら築く生徒と教師の信頼関係、

心理的コーチング、アフターフォロー

がんに対する何らかの経験がすでにある生徒への労い、認め、敬意   

※自分で選択させる、選ぶことができる

→進路選択、受験等の人生の分岐点→救済(がん遺児、小児がん経験者への奨学金も含む)


⑥小・中学校からの学校での「がん教育」は本当に「がんを抱える人が生きやすい世の中」を創り上げる一端を担えるのか。公教育でのがん教育は全ての子どもに平等にがんを知る機会を与えることなのか。


各所で行われるがんのイベント、AYA世代を応援するイベント、ファミリー向け、子ども向けのがんのイベントや、シンポジウムや病院での講演会などでは、がんを経験されている方々がさまざまな方向から素晴らしい、時に非常に尊いお話をされています。民間企業や団体の力を借りてどんどん促進してほしい。そして一人でも多くの方々にそれを聞いたり、立ち止まってほしい。

だが、逃げ場のない学校内での「がん教育」においては、走りながらの調整は危険な考え。


 100パーセント、誰も傷つけない、 配慮の行き届いた教育はないと思います。

当方の場合で申せば、先生なりの様々な的外れでない工夫をこらして、親が亡くなったばかりの息子を陰ながら応援し、母親の当方にまで機転のきいた的確な配慮をしてくださった小学校の担任の先生、私ども母息子をあたたかく扱ってくださった担任の女性の先生、また息子の言葉にできない現状を、今までの数年間の労いの意を込めて精いっぱい認めてくれた中学校の学年主任の男性の先生、今でも心から感謝をしています。


 どんなご家庭、お子さんでも、もうダメかもしれない、乗り越えられないかもしれないという家族の局面がおとずれた時、教育を施す方や、教師、学校で子どもに関わる方々が、よいしょと、少ししゃがみ、子供の目線にぐっと落として、退行やゆらぎ、悲しみの立ち返りも含めて、丁寧にあたたかく対応すれば、その教育が、100パーセント的確な配慮が不可能な場合でも、必ず声なき声を救うことになると思っています。


 小学校高学年から中学生の生徒さんは、学校で生きていく中で、どう面子を保たせてあげるか、こっそり逃げ道を用意してあげるかが、どんな「がん教育」を進める上でも、キーワードのような気がしています。親が闘病中であったり、死別を経験している場合には、まず労いの意も込めて、せいいっぱい現状を認めてあげてほしい。そして疎外感を味わわないように、自分で授業を「選択」する機会を与える。また、がんに関わるお子さんの中でも、難しい思春期も手伝って、お父さんお母さんにがんについて話したり助けたり出来ないお子さんは、逆にがん教育が心の整理に繋がるケースも、また逆もあると思います。

小学校低学年のお子さんや、まさに闘病中や、亡くなって日が浅いですと、やはり体温を感じる丁寧なあたたかい対応がどんな手段であれ、救いになると思います。寝た子を起こさないでほしい、と思う親御さんもいることも事実です。


 子どもたちが1日の大半を過ごす学校。

人間形成の場であり、また、人間関係を構築している小・中学校の先生方はもちろんのこと、教育関係者の方々や、学習塾の先生や、習い事の先生、子どもに週末指導にあたる立場の方々にも、がんと関わりながら子供を育てている家族がいること、がんで親を亡くしている子がいることを知ってほしいし、あたたかいまなざしがほしい。

 子どもがこころを寄せることのできる大人は、親や、家族や、先生だけではなく、いろんな大人にあたたかく見守られたら、素晴らしいと思います。



 多くの場合、親の死は子どもたちにとってやはり残酷な現実です。

親のがん闘病を抱える家庭の実態を身にしみている子どももいます。

「がん」というものの命のせめぎあいの現場を目にし、体感してきた子どもたちがいます。

このような経験に巡り合わずに生きている大人よりも、ずっとたくさんの尊い経験をしています。

 こういった背景のなかで成長してきた子どもたちや、死別を経験した子どもたちはそれぞれの家族のストーリーをもとに、個々に尊い体験をしています。年齢や、子どもそれぞれの資質や、多様な状況下で、子ども自身が感じた気持ちや感情を言葉に表現できないとしても、素晴らしいケアギバーとしての役割を立派に担ってきた子どもたちがいます。深い悲しみを生き抜いている「ひとりの人物」として立っているかもしれない、ということを忘れないでほしいと思います。

 まず大人である私たちが知ることはたくさんあります。大人である私たちが知ることによって、声なき声である子どもたちや、患者さんご自身といったその時一番ケアが必要な方々に的はずれでない配慮ができるようになると思います。

 どんなに辛い体験をしていたとしても、子どもは素晴らしい生命力の塊です。

 子どもたちに、ゆっくりと、自分のペースで回復する時間を与えてあげてほしい。

日々の生活ではいろんなことがたくさんあるけれども、自然に少しづつ向き合っていけるようなあたたかいまなざしがまず欲しい。

 そして、子どもたちが自分らしく笑顔で豊かな人生を歩んでいくためにも、貴重な経験を経た自己を肯定して生きていくためにも、学校をはじめ、そういった子どもたちの周りの大人が、彼らにきめ細やかにあたたかく認め、尊重し、選択肢を与えてほしい。それは、彼らに労いの意も込めて、非常に尊い経験をした子どもたちの人権にも及ぶテーマではないかといっても過言ではないと考えています。


 幼くして、また未完成な年頃に尊い体験をした子どもたちの声なき声をすくい上げて、是非、たくさん認めてあげてほしい。それはがん教育に限ったことではないと考えています。がんに特化した教育はおそらく大きな成果はもたらさないと思います。文科省のガイドラインにある「配慮」を各学校の実態とともに熟慮してくださる教員の方々がいることを心から期待します。それがその学校での「がん教育」の意義になると考えます。